【世田谷区】どの宗派にも属さない「世田谷観音」で心静かに手を合わせ、なくなった人をしのぶ秋分の日
コロナ禍で散歩やウォーキングを日課にされた人は多いと思いますが、実際に歩いてみると神社仏閣が近所にも多くあることに気がつきませんか?
その多くの神社仏閣のうち、ユニークな世田谷観音についてご紹介しましょう。
世田谷観音はどの宗派にも属さない単立寺院
野沢にある通称「世田谷観音」は、正式には「世田谷山観音寺」といいますが、個人として睦賢和尚(太田睦賢氏)が昭和26年(1951年)に建立した、どの宗派にも属さない「単立寺院」であることをご存知でしょうか?
長野県から東京に出稼ぎに来られた若かりし睦賢(ぼっけん)和尚が、ハンセン病患者のために尽くした英国人女性コンウォール・リー(1857〜1941)さんと出会い、洗礼を受け、やがて、自分も人の役に立ちたいという夢を持ち、事業に成功した後、同寺を建立するに至ったのだそうです。
建立までに10年かかったそうですから、1951年建立から10年遡ると1941年、日本は戦争一色だった時期です。個人でお寺を建てるという発想もすごいですが、戦中から戦後の困難な時期に誰にでも門戸をひらくお寺を建立したことに驚嘆させられます。
鳴き龍が出迎えてくれます!
境内に入って、門の両側の仁王像の手前で、“鳴き龍”の説明に従って、手を叩くと、確かに響く音が聴こえます。ぜひトライしてみてください。
各地から取り寄せられた秘仏など、貴重な文化財があります。
門をくぐると、左側に「六角堂」があり、国指定重要文化財「不動明王ならびに八大童子」が安置されています。1272年(文永9年)に、大仏師・運慶の孫にあたる康円の手によって完成された国内ではわずか2体しか残っていない極めて貴重な文化財です。
左手の池には、「夢違観音(ゆめちがいかんのん)」が立っています。法隆寺の87cmの夢違観音を拡大模写したものだそうです。
本堂には、御本尊の“聖観世音菩薩”が安置されています。かつて伊勢長島(三重県)興昭寺の秘仏だったものです。
本堂の左奥には、特攻平和観音尊が奉安された特攻観音堂があり、吉田茂氏(第45代内閣総理大臣)の書による世界平和の礎碑が建てられています。
このように拝見していくと、今から70年前に建立された歴史の短いお寺なのですが、江戸時代以前の古いものが所蔵されていることがわかります。各地から取り寄せられたもので、中には国の重要文化財や東京都の有形文化財に指定されているものあるというわけです。
旧石薬師寺所蔵の鐘楼に、奈良県極楽寺什物であった梵鐘は区内最古のもで、除夜の鐘として、大晦日にはどなたでも鐘をつくことができます。(有料/お供物付き)
都心に近い立地で静かなお寺
手を清めて境内をゆっくり巡りながら、お参りすると、環七通りやビル群が見えるエリアにいることを忘れ、観光地にいるような気さえしてきます。
鐘楼と特攻観音堂の間に植えられた多羅葉樹の葉が生い茂り、夏でも涼やかな日陰を提供してくれます。この木は葉書の語源と言われています。
“七福即生”“七難即滅”、七難がすぐに消滅し、同時に、七福がすぐに生産されることをあらわしている一節で、対で使われます。
秋分の日は、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日として、1948年に施行された祝日です。昼と夜の長さがほぼ等しくなる日を天文学にもとづいて毎年日付を変える祝日は、特殊で世界的にも珍しいそうです。
世田谷観音は三軒茶屋駅から徒歩15分程度の場所とは思えないほど、閑静なお寺です。故郷のお墓参りに行けない人、菩提寺がない人、気分転換でも、宗派は関係なく心静かに祈り、手を合わせてみてはいかがでしょうか?
場所はこちら↓三軒茶屋駅から徒歩15分程度、バス停「世田谷観音」下車徒歩2分程度