【世田谷区】~歴史探訪~多摩川の渡し舟の歴史を少々と宇奈根3丁目付近の野川の平和な風景
同じ街に長く住んでいても、知らない住所(町名)があったりします。世田谷区は東京23区の中で、1位の大田区に次いで2番目に面積が大きいのでなおさらかもしれません。
先日「宇奈根」のあたりを散歩していて、どんな街なのかと世田谷区の資料を読んでみました。
多摩川は古くから洪水が多く、流路が変わる暴れ川で、それにより度々村が分断されることもあったそうです。
宇奈根も、かつては左岸「本村」(現:世田谷区宇奈根、駒沢大学玉川キャンパスのあるところ)と、右岸「宇奈根山野」(現:川崎市高津区宇奈根)が一つの地域でした。明治時代までは、分断された両岸を渡し船「宇奈根の渡し」が行き来していました。
年月とともに洪水などで流れが変わり、東京都と神奈川県に分かれても地名だけが残り、渡し舟は橋の建設などで1950(昭和25)年に廃止となりました。
それにしても、資料を見ると交通手段としてこんなに”渡し”が存在していたのですね。
行楽・商業の船着き場として栄えた「二子の渡し」に比べ、農作業など住民生活の足として利用されていた「宇奈根の渡し」は、残された資料が少ないそうですが大切な歴史だと思います。
余談ですが、1971 (昭和46年) に宇奈根3丁目をもって、世田谷区の全ての町域において住居表示が完了したそうです。
当時の宇奈根の渡しの船着き場付近はこちら↓