【世田谷区】~歴史探訪~多摩川の渡し舟の歴史を少々と宇奈根3丁目付近の野川の平和な風景

20220829 宇奈根地区会館のバス停同じ街に長く住んでいても、知らない住所(町名)があったりします。世田谷区は東京23区の中で、1位の大田区に次いで2番目に面積が大きいのでなおさらかもしれません。

20220829 宇奈根地区会館のバス停留所

先日「宇奈根」のあたりを散歩していて、どんな街なのかと世田谷区の資料を読んでみました。

20220829 宇奈根地区会館

世田谷区立 宇奈根地区会館

多摩川は古くから洪水が多く、流路が変わる暴れ川で、それにより度々村が分断されることもあったそうです。

20220913 多摩川の夕景

世田谷側から川崎市側を見たところ

宇奈根も、かつては左岸「本村」(現:世田谷区宇奈根、駒沢大学玉川キャンパスのあるところ)と、右岸「宇奈根山野」(現:川崎市高津区宇奈根)が一つの地域でした。明治時代までは、分断された両岸を渡し船「宇奈根の渡し」が行き来していました。

20220914 多摩川の渡しの歴史

世田谷区の資料より

年月とともに洪水などで流れが変わり、東京都と神奈川県に分かれても地名だけが残り、渡し舟は橋の建設などで1950(昭和25)年に廃止となりました。

20220829 宇奈根3丁目の野川の様子

種類は違ってもみんな仲良く♪ この時代に癒されるピースフルな風景

それにしても、資料を見ると交通手段としてこんなに”渡し”が存在していたのですね。

20220829 宇奈根3丁目の野川の様子

野川をゆったりと飛ぶシラサギ

行楽・商業の船着き場として栄えた「二子の渡し」に比べ、農作業など住民生活の足として利用されていた「宇奈根の渡し」は、残された資料が少ないそうですが大切な歴史だと思います。

20220829 宇奈根3丁目の野川の様子

余談ですが、1971 (昭和46年) に宇奈根3丁目をもって、世田谷区の全ての町域において住居表示が完了したそうです。

当時の宇奈根の渡しの船着き場付近はこちら↓

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